東京高等裁判所 昭和45年(ネ)106号 判決 1971年3月30日
控訴人 矢板信用組合
理由
一 《証拠》を総合すれば、つぎの事実を認めることができる。
訴外永岡栄治は、被控訴人鈴木頼兵の妻京子の兄であり、また被控訴人柴善二郎の知人であつて、宇都宮市内において中古車の販売修理を業としていた者であるが、資金に窮した結果控訴人組合から融資を受けうる資格を有する被控訴人鈴木の名義をもつて同組合から融資を得ようと企て、右被控訴人宅から同被控訴人の印鑑を持ち出し、また同訴外人が被控訴人柴善二郎に購入の仲介をした自動車の登録名義書換えのため同被控訴人からその印鑑を預つたのを奇貨として、これらを冒用して、印鑑証明書の下附を受け、昭和四二年二月六日控訴人組合に至り、同組合の貸付係村上保夫に対し自己が被控訴人鈴木本人であるように装い、金三〇万円の借受けの申込みをなし、主債務者欄に被控訴人鈴木の記名押印を、連帯保証人欄に被控訴人柴の記名押印及び自己の署名押印をした手形貸付約定書に右各人の印鑑証明書を添付して提出したので、控訴人組合は、右訴外人を被控訴人鈴木本人と誤認し、これに対し金三〇万円を貸付けることに決し、その弁済期日を同年五月六日利息を日歩二銭八厘、遅延損害金を日歩五銭と定め、右訴外人に対し金三〇万円を交付し、その際、同人をして額面金三〇万円、振出人被控訴人鈴木、保証人被控訴人柴及び右訴外人とする約束手形を交付せしめた。右訴外人は、右貸付金の弁済期日が到来してもその弁済ができなかつたために、さらに被控訴人鈴木に対し、自動車を購入するに当たり車庫証明のために名義を貸してもらいたい旨申入れ同被控訴人からその趣旨で印鑑を借受け、また被控訴人柴からは再び前記と同じ事由により同被控訴人の印鑑を預つたのを奇貨として、これら他人の印鑑を冒用して、前同様の手段を用いて、同年五月一七日右貸付金のうち返済することのできない金二七万円の弁済の延期を求めたので、控訴人組合は、これを承認し、右金二七万円の債権を対象として、右訴外人との間に、被控訴人鈴木を主債務者、被控訴人柴及び右訴外人を連帯保証人とし、弁済期を同年八月一四日、利息及び遅延損害金を前回の約定どおりとする準消費貸借契約を締結し、同人をして前同様の約束手形を交付せしめた。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
右認定事実によれば、訴外永岡栄治は、被控訴人らの代理人であることを表示して被控訴人らの消費貸借契約ないし準消費貸借契約の締結及びこれらに関する保証契約を締結したものではないけれども、同訴外人は、右法律行為の効果を被控訴人らに帰属せしめる意思をもつてこれを行なつたものであるから、被控訴人らの代理人として行為したものであると解するのが相当である。
控訴人は、被控訴人らは訴外永岡に対し右行為を行なうにつき代理権を授与したものである旨主張するが、これを認めるに足る証拠はない。かえつて、前記認定の事実によれば、そのような代理権を授与したものでないことが認められるのであつて、控訴人の右主張は理由がない。
二 つぎに控訴人の権限踰越による表見代理の主張につき判断する。
権限踰越による表見代理が成立するためには、本人が越権代理人に対し私法上の行為につき何らかの代理権を授与しておることを要する。本件についてこれを見るに、前記認定のとおり、最初に訴外永岡栄治が控訴人組合から金員を借受けた際には被控訴人鈴木は何らの代理権をも同訴外人に授与しておらず、被控訴人柴も購入自動車の登録名義書換えのために印鑑を同訴外人に預けたに過ぎないものであるから、右名義書換えという公法上の申請行為についてのみ代理権を授与したものと解するのが相当であるところ、かかる公法上の行為についての代理権は、取引の安全を目的とする表見代理制度の本旨に照らし、表見代理が成立するための基本代理権たりえないものであるから、被控訴人柴の関係においても基本代理権は存在しないといわざるを得ない。また二回目の準消費貸借契約締結の際も、被控訴人鈴木は、右訴外人が自動車を購入するときに要する自動車の保管場所の確保を証する書面を行政官庁に対し提出するために印鑑を貸したにすぎないものであるから、これをもつて私法上の行為につき代理権を授与したものということができないことは明らかであり、被控訴人柴については、最初の金員借受けの場合と同様であるから、同人についても基本代理権は存在しないといわざるを得ない。
要するに訴外永岡は被控訴人らから何らの基本代理権をも授与されていなかつたことになる。すでに基本代理権の存在が認められない以上、その余につき判断するまでもなく、控訴人の権限踰越による表見代理の主張は理由がない。
三 控訴人は、さらに被控訴人鈴木の妻京子が同被控訴人の代理人として債務を追認した上、準消費貸借契約をしたが、仮りに然らずとするも妻の行為として表見代理の類推適用により同被控訴人は責任を免れない旨主張するので判断する。
《証拠》を総合すれば、被控訴人鈴木の妻京子は昭和四三年四月二日訴外永岡栄治の依頼を受けて控訴人組合に至り本件債務について利息等三万一、九三六円を支払い、その際被控訴人鈴木の印鑑を冒用して同被控訴人振出名義の額面二七万円の約束手形を書換えたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
しかしながら、本件全証拠をもつてしても被控訴人鈴木頼兵が右鈴木京子に対し本件債務を追認するにつき代理権を授与した事実を認めることができない。控訴人の追認の主張は理由がない。
つぎに、妻が日常の家事に関して夫の代理権を有しており、妻の無権代理行為が夫婦の日常の家事に関する法律行為に属すると信ずるにつき正当な理由がある場合は民法一一〇条を類推適用して夫にその責任を負わせるを相当と解するが、本件においては、《証拠》によれば、同被控訴人は当時二九才ぐらいの自動車運転手であることが認められ、弁論の全趣旨によれば同被控訴人は控訴人組合に八万円の預金を有していたことが認められるが他に特別の資産を有するものであることを認めるに足る証拠はない。してみれば、鈴木京子が前記のように額面二七万円の約束手形を被控訴人鈴木頼兵の名義で書換えたことは、その金額からしても同人らの日常の家事に関してなされるものとは通常考えられず、また、そう信ずるにつき正当な理由がある場合に当たると認めるに足る証拠はない。してみれば控訴人の民法一一〇条の類推適用の主張も理由がない。
四 以上の次第で、控訴人の請求はすべて理由がないのでこれを棄却した原判決は相当である。よつて本件控訴は理由がないから、これを棄却する
(裁判長裁判官 岡松行雄 裁判官 小林信次 中平健吉)